「堤先生、こんばんはo(^-^)o」
発行のご案内

「はじめに」より

 2005 年7月中旬、以前から私、堤寛の知り合いだった大鐘稔彦先生(兵庫県南あわじ市国民健康保険阿那賀診療所、院長)を介して、36 歳のうら若き女性、為後久視(ためごくみ)さんに発生した後腹膜腫瘍の病理診断に関するセカンドオピニオンを依頼された。

 大鐘先生は、淡路島南部で地域医療を実践されている医師であり、同じ淡路島の洲本市由良に住む為後久視さんのかかりつけ医であり、気楽に相談できるコンサルタントだった。と同時に、「孤高のメス」の著者、高山路欄のペンネームをお持ちのベストセラー作家としても名高い人である。このほか、「緋色のメス」、「メスよ輝け!! 」、「誤診」、「六道の沙汰」、「実践のプライマリ・ケア」など、多数の著作がある。

 私の手元に久視さん本人から手紙つきで送られてきたのは、兵庫県立成人病センター(現、兵庫県立がんセンター)で2003 年5月(当時34 歳)に卵巣がんの疑いで手術された2 キログラムの原発腫瘍(後腹膜の巨大腫瘍)と2 年後の2005 年3月に再手術された6 センチ大の再発腫瘍(後腹膜リンパ節転移)のガラス標本だった。ヘマトキシリン・エオジン染色された標本で、それぞれ、13枚と11枚がていねいにサンプリングされていた。

 病理診断は、後腹膜原発の「パラガングリオーマ」。当初から血管浸潤があり、2 年後に局所再発しているため、悪性パラガングリオーマと私は判断した。この腫瘍の和名は傍神経節細胞腫、別名、副腎外褐色細胞腫とも呼ばれるまれな病変である。
 まれな疾患だけに、臨床医がよく知らない病名でもあるわけで、メールの中にあるように、臨床医が「副腎外神経節腫」と誤認するようなことが生じうる。「神経節腫」は、神経細胞に分化する傍神経節細胞腫とは別種の良性腫瘍で、副腎髄質に生じることがある。この誤解が、結果的に、久視さんの病気の治療を遅らせてしまったことは、かえすがえすも残念なことだった。(中略)

 以下に、診断専門の医者である病理医の私と希有なる低悪性度腫瘍におかされた若き女性患者の間に2年間にわたって交わされたe-mailによるやりとりを紹介する。

 患者を治療することのない、つまり患者に触ることのない医師である病理医だからこそ可能だったメールの交流だったと私は信じる。病理医は、職業柄、守備範囲が広く、頭のてっぺんから足のゆびさきまで、すべての病気を顕微鏡でみる。客観的に、クールに、そして科学的に診る。それが仕事であるがゆえに、全科の臨床医と親しく、気楽に連絡が取れるし、そうでないと仕事にならない。

 これまでの病理医の多くは、病理診断を臨床医(担当医)に報告することを生業としてきた。正しい病理診断の報告が、病理医にとって、第一義的に重要な職務である。しかし、これでは、患者さんにとっては病理医がみえず、あまりにも遠い存在であるともいえる。私は、病理診断のセカンドオピニオンを積極的に受けることで、そしてさらに、患者さんに直接お会いすることで、「患者さんに顔のみえる病理医」を実践してきている。

 「顔のみえる病理医」の役割、そして、患者さんのニーズの高さをこの本を通じてご理解いただければ、まさに病理医冥利に尽きる。臨床医にはなかなかできない、病理医だからこそできる医療の一側面であると、私は信じる。

 為後久視さんは、信頼できるかかりつけ医としての大鐘稔彦先生、優しい兵庫県立成人病(がん)センターの担当医たち、そして、すばらしい家族に囲まれ、療養環境として特別に恵まれた患者だったともいえる。それでも、だれにも言えない愚痴、悩みや不安があることを、2年間にわたって病理医の私に教えてくれたのは彼女だった。どうか、携帯メールを通した彼女の、いや末期がん患者の本音を聞いてあげてほしい。

 この本をまとめるにあたって、お母さまの為後美智子さんから送っていただいた久視さんの写真、日記や短歌作品の一部を、扉ページに紹介したい。ぜひ、聡明な人だった久視さんの人となりに触れていただきたい。

2011年12月
藤田保健衛生大学医学部病理学
堤 寛(病理医)

「堤先生、こんばんはo(^-^)o」
2011年12月13日 初版発行


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若き女性がん患者と病理医のいのちの対話
堤ェ
(藤田保健衛生大学医学部教授)
三恵社刊(全320ページ)
2011.12、\1,800+税
ISBN978-4-88361-918-4


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